なんか暗い内容っぽいけどただ考えたこと書いただけです
2006年12月5日自殺のニュースを見て
「死にたいと思ったことなんて一回もないよ。だって恐いじゃん」
と言う母を尊敬する。
私なんかよりよっぽど過酷な人生歩んできているはずなのに。
それに対する私の返答。
「最近の人は“死”に触れてきていないから、それを恐いと思う感覚も希薄なんだと思うよ」
第三者的に言ったけど、「最近の人」の一番身近な例は自分なワケで。
私は今まで幸いにもお葬式に出席したことがない。
覚えている限りで挙げられる“死”といったら、
・学校から帰ってきたら、飼い猫が車にはねられて死んだと聞かされた。(既に死体は土の中。)
・高校の時、隣のクラスの人が白血病で亡くなった。(会話したこともなかった。)
・曾祖母が亡くなった。
このくらいか。少ない。
ひいおばあちゃんが亡くなった時、お葬式には出なかったけどお葬式で配るお茶を届けに行くっていうんで(※私の実家はお茶屋さん)ついていって死体は見た。
綺麗に死に化粧された顔を見て、からっぽな感じがして少し恐かったけど、何かリアルじゃなかった。
不謹慎な表現だけど、私はどうやら“死”に対して非常に興味を持っているようだ。
自分で書く台本も、どうも死ぬの死なぬのという辺りにテーマが置かれることが多いということに最近気が付いた。
おまけに“死”に憧れているようだ。
馬鹿みたいなので自分でも認めたくないのだが、実際そうなんだから仕方がない。
芝居や映画やドラマや漫画の中の美化された死ばかり見てきたからだろうな。
常に薄ぼんやりした自殺願望が頭の片隅にあって、それと共生している状態というのは、「死にたいと思ったこともない」母から見たら異常だろう。
それが私にとっては普通でも。
生きる為に生まれたのなら、ゴールは死ぬ瞬間だ。
どうせならカッコよく死にたい。
「死にたいと思ったことなんて一回もないよ。だって恐いじゃん」
と言う母を尊敬する。
私なんかよりよっぽど過酷な人生歩んできているはずなのに。
それに対する私の返答。
「最近の人は“死”に触れてきていないから、それを恐いと思う感覚も希薄なんだと思うよ」
第三者的に言ったけど、「最近の人」の一番身近な例は自分なワケで。
私は今まで幸いにもお葬式に出席したことがない。
覚えている限りで挙げられる“死”といったら、
・学校から帰ってきたら、飼い猫が車にはねられて死んだと聞かされた。(既に死体は土の中。)
・高校の時、隣のクラスの人が白血病で亡くなった。(会話したこともなかった。)
・曾祖母が亡くなった。
このくらいか。少ない。
ひいおばあちゃんが亡くなった時、お葬式には出なかったけどお葬式で配るお茶を届けに行くっていうんで(※私の実家はお茶屋さん)ついていって死体は見た。
綺麗に死に化粧された顔を見て、からっぽな感じがして少し恐かったけど、何かリアルじゃなかった。
不謹慎な表現だけど、私はどうやら“死”に対して非常に興味を持っているようだ。
自分で書く台本も、どうも死ぬの死なぬのという辺りにテーマが置かれることが多いということに最近気が付いた。
おまけに“死”に憧れているようだ。
馬鹿みたいなので自分でも認めたくないのだが、実際そうなんだから仕方がない。
芝居や映画やドラマや漫画の中の美化された死ばかり見てきたからだろうな。
常に薄ぼんやりした自殺願望が頭の片隅にあって、それと共生している状態というのは、「死にたいと思ったこともない」母から見たら異常だろう。
それが私にとっては普通でも。
生きる為に生まれたのなら、ゴールは死ぬ瞬間だ。
どうせならカッコよく死にたい。
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